—— 成幸スクールLAGOON代表・ゆりかの“人生逆転物語”**
①千葉で生まれた、ひとりの普通の女の子だった私
私は千葉県で生まれ、今も千葉県で暮らしている“普通の女性”です。名前は岡部ゆり花。
現在33歳、母であり、妻であり、そして保護犬1匹と保護猫2匹と暮らす6人家族の一員で
もあります。今でこそ起業家として年商8桁を続けられるようになりましたが、私は昔か
ら特別な才能があったわけではありません。むしろ、どこにでもいる女性で、学歴も中
卒、コミュ力もなく、得意なことも自信もない。そんなところからのスタートでした。幼
少期は母が朝から晩まで働く背中を見て育ち、学校行事はいつもひとりで参加。寂しさと
強がりが混ざり合う子ども時代を過ごしました。その経験は、今の私にとって「家族と過
ごす時間を大切にしたい」という強い価値観の土台となっています。誰かの人生を照らす
存在でいたいと思えるようになったのも、寂しさを知る私だからこそ。ここから、波乱万
丈の物語が始まりました。
②数ヶ月で仕事を辞め続けた20代…“私は社会不適合者なの?”と悩んだ日々
高校を中退し、ネイルの専門学校に入った私は、資格を取ってネイリストとして就職しま
した。ところが、理想とは違う現実が待っていました。お客様がいない時間は技術練習…
と思っていたのに、実際はスタッフ同士でお客様の愚痴大会。嫌悪感しかなく、たった
3ヶ月で退職。そこから転職を繰り返し、10カ所以上で働きましたが、どれも数ヶ月で辞
めてしまう。「続かない私はダメな人間なのかな」「社会不適合者なのかもしれない」そ
んな言葉が頭をよぎり続ける毎日。それでも心の奥には『本気でお客様に喜んでもらえる
仕事がしたい』という想いが確かにあったのです。しかし若い私は、その想いを実現する
術をまだ持っていませんでした。やがて結婚し、息子が生まれ、家族3人の生活が始まり
ましたが、夫のモラハラが原因で離婚。25歳、息子3歳。シングルマザーとしての人生が
突然幕を開け、そこから本当の試練が始まったのです。
③息子を守るため“自宅でできる仕事”を探し始めたシングルマザー時代
離婚したあの日、私は胸に誓いました。「絶対に息子を寂しくさせない」と。幼い頃、母
が仕事で忙しく迎えが遅く、行事にも来られない寂しさを味わった私は、息子に同じ思い
をさせたくなかった。そこで考えたのが“自宅でできる働き方”。ちょうどバレンタイン
シーズンで、Instagramで見たアイシングクッキーに心惹かれ、「息子に作ってあげたい」
と参加したレッスンで、子どもを育てながら働く先生の姿を目にし「こんな働き方がある
んだ!」と衝撃を受けました。ネイル時代の経験もあり、細かい作業は得意。資格をとっ
て自宅でお菓子教室をスタート。すると、想像以上に楽しかったのです。「どうしたら喜
んでもらえるか」「どんなクッキーが嬉しいか」考える時間は純粋に幸せでした。しかし
“喜んでもらえる気持ち”だけでは事業は続きません。現実は厳しく、お菓子教室の収入は
月数千円。生活は苦しく、息子に胸を張れない日も多かった。それでも諦めなかったのは
「息子のために、私は変わる」と心に固く誓っていたからです。
④ SNS発信・アメブロ・チラシ配り…努力しても“集客ゼロ”の苦しみ
お菓子教室を始めたものの、どうしても越えられない壁がありました。それが“集客”で
す。毎日何時間もかけてアメブロを書き、Instagramを更新し、チラシを作って近所のお店
に置いてもらい、マルシェにも出店し、地域新聞にも掲載されました。しかし、問い合わ
せは月に1件来るかどうか。しかもレッスン料金は3000円。材料費を引いたらほぼ利益ゼ
ロ。光熱費もハガキが来てからギリギリで払う生活、ご飯は納豆ご飯や卵かけご飯ばか
り。子どもの寝顔を見ながら涙をこぼす日もあった。でも私は「喜んでもらいたい」とい
う原点を忘れませんでした。どれだけ結果が出なくても、誰かの笑顔を見られるなら続け
たい。その一心で、苦手だったパソコンも必死に学び、SNSを続けました。当時は集合知
的なノウハウが氾濫し、“何が正しいか分からない”情報地獄。けれど、人一倍不器用だっ
た私は「できない自分を変えたい」と強く願い、努力を続けました。この努力がのちに大
きく結実します。
⑤物販との出会いが人生を変える。“女性が輝ける姿”に心が動いた瞬間
お菓子教室の収入は相変わらず厳しく、生活を支えるため、副業で物販ビジネスを始めま
した。すると数ヶ月で月10万円の副収入を達成。そこで出会ったのが、女性が自立して楽
しそうに働くコミュニティ。輝く女性たちを見て「私もこんなふうに誰かの背中を押す存
在になりたい!」と心が震えました。同時期にお菓子教室では「ゆりかさんみたいに働き
たい」「起業ってどうするの?」と相談されるように。人に求められる喜びを初めて実感
しました。そんなある日、物販スクールの代表“ふみかさん”が高層階のフレンチに連れて
行ってくれ、心が震える体験をしました。接客も空間も全てが美しく、私の中で何かが動
き始めました。「いつか私も、大切な人をこんな場所に連れて来たい」その瞬間、私の中
で“誰かを輝かせるコンサルタントになりたい”という想いの芽が確かに生まれたのです。
この出会いと経験は、私の人生の大きな転機となりました。
⑥貯金ゼロでも自己投資。“成功している人から学ぶ”と決めた覚悟の4ヶ月
コンサルタントになると決意したものの、当時の私は月20万円がやっと。「自分の方法が
正しいかも分からない」「体系的に伝える力もない」。だからこそ「分からないなら成功
者に学ぶしかない」と腹を決め、貯金ゼロの状態でビジネススクールに自己投資しまし
た。もちろん怖かった。でも、息子の未来のためにも“変わるしかない”と自分に言い聞か
せ、昼はパチンコ屋、夜はバイト、そして空き時間は全て学びに使いました。その結果、
4ヶ月目で月480万円の売上を達成。人生で初めて「努力は裏切らない」と実感しました。
その瞬間、同時に気づきました。「できない人なんていない。やり方を知らないだけ」。
この経験が、今の私が“寄り添うサポートにこだわる理由”の原点です。かつての私のよう
に何も知らず、苦しむ人を救いたい。そう強く思うようになりました。そして私は本格的
に“誰かを導くコンサルタント”として活動をスタートしました。




