① 裸足で飛び出した夜のあとで
あの夜、家を飛び出した瞬間から、 ワシの足は勝手に向かう先を決めとったんじゃと思う。
暗い道を裸足で走りながら、 胸の中で浮かんだのはたった一つ。
——靴を借りれるところ。
——助けてくれる場所。
気づいたら、ワシは最初から彼女んちを目指しとった。
玄関のチャイムを鳴らすと、 彼女が出てきてワシの裸足を見て固まった。
「え…どうしたん?裸足で…」
ワシは息も切れとって、 もう言葉もまともに出ん状態じゃった。
「……靴、貸してほしいんよ…」
彼女は何も聞かず家の中へ戻り、 少しして、スニーカーを持ってきてくれた。
「これ、お兄ちゃんのだけど…履けるじゃろ?」
その瞬間、胸がギュッとなった。
差し出された“誰かの優しさ”に触れたとき、 身体が覚えとる感覚というのは、歳を重ねても消えん。
お兄ちゃんの靴は少し大きかったけど、 靴紐を結んだとき、 裸足で感じとったアスファルトの冷たさが スーっと消えていくような気がした。
あの頃、胸の奥に残っとった先生の言葉がある。
「人に迷惑かけてもええんよ。 ただな、ちゃんと返すんじゃ。」
あれが、あの夜のワシをつなぎ止めてくれた。
人に頼る弱さも必要じゃし、 借りを返す強さも必要。
その両方を持つことが、大人になるということなんじゃろう。
人生には、ときどき“神計らい”みたいな瞬間がある。
裸足で飛び出した夜に、 ワシが迷わず彼女の家に向かったこと。
お兄ちゃんの靴を差し出されたこと。
その靴を履いて、また歩き出したこと。
今振り返れば、 あの夜はワシの人生の“再スタート”じゃった。
お兄ちゃんの靴で踏み出した一歩が、 競輪選手になるための ほんまの最初の一歩じゃったんかもしれん。
② 好きになると決めた日
裸足で家を飛び出し、 お兄ちゃんの靴を借りて歩き始めたあの日から、 ワシの中で何かが変わり始めとった。
それまでの競輪は、ずっと「やらされるもの」じゃった。
親に言われるまま、 スパルタの練習をこなして、 息が切れるほど漕いでも、 心のどこかでずっと思い続けとった。
——ワシは本当に、これがやりたいんか?
答えは、ずっと“No”じゃった。
けど家を出て、 初めて自分一人の足で立とうとしたとき、 ふと気づいたんよ。
“このまま嫌いなままじゃ、絶対続かん”って。
競輪選手になるためには、 タイムでも脚力でも根性でもなく、 まず必要なのは——
「好きになる覚悟」じゃと。
好きになるために何をしたらええんか?
それを毎日考え始めた。
練習のとき、 ただ苦しいだけだった1000mも、
「どうやったらもうちょい楽しくできるか?」
「どうやったら自分の工夫を入れられるか?」
そんなふうに頭を使い始めた。
すると、不思議なことに、 自転車との距離が少しずつ縮まっていった。
“向き合う”という言葉の意味を、 このころ初めて実感したんかもしれん。
これって実は、 競輪だけじゃなくビジネスも同じなんよ。
どんな仕事も、 最初から全部好きになれるわけじゃない。
でも、楽しくこなす方法を考えたら、 人は続けられる。
続けたら、必ず上達する。
上達したら、自然と好きになる。
結局、「好き」は後から作るもんなんよ。
あの日、ワシは決めた。
——やらされる競輪はここで終わり。
——今日からは、自分で“好きにしに行く”。
自転車を好きになろうと決めたその瞬間から、 ワシの人生は自分の足でまっすぐ動き始めたんじゃと思う。
③ 師匠のもとでの再スタート
家を飛び出して、 お兄ちゃんの靴を借りて歩き始めたあの日から、 ワシの人生は“自分の意思で走る”方向に動き始めた。
その時期、ワシは ピザ屋のチラシ配り を始めたんよ。
広島の町を自転車や徒歩で回りながらチラシを入れていく。
バイトをしながら、その合間に師匠のもとへ向かい、 トレーニングにもついていった。
生活はギリギリじゃったけど、 心は不思議と軽かった。
ある日なんか、民家の前でチラシを入れとったら
急に犬が飛び出してきて、 ガチで噛まれそうになって全力ダッシュしたこともある。
あれは今思えば、
立派なインターバルトレーニングじゃった。
走りながら、ふと思った。
——ワシ、今めちゃくちゃ自由じゃな。
あの家の中で息を潜めとった日々とはまるで違う。
誰にも命令されず、 怒鳴られることもなく、
ただ、自分が進みたい方向へ進むだけ。
この頃のワシは、
ほんまに「いつ死んでもええわ」くらいの気持ちで生きとった。
投げやりじゃなくて、
“今を全部使い切っとる”という感覚。
失うものが何もないから、 逆に怖いもんもなかった。
今振り返っても、
19歳のあの頃の自分は最強じゃったと思う。
今の自分は、 金も経験も知識もある。
でも、あの頃の“覚悟の強さ”には勝てんと感じることがある。
バイトをして、 師匠にしごかれて、
それでも自由を感じとった時期。
あれがワシにとっての
本当の“再スタート”じゃったんよ。
④ いとこの家での潜伏生活
家を飛び出したあと、 ワシが身を寄せたのは——いとこの家じゃった。
“潜伏”という言葉が一番しっくりくる。
裸足で家を逃げた19歳のガキが、 とりあえず安心して横になれる場所。
それが、いとこの家じゃった。
そこで過ごした日々は、
決して楽ではなかったけど、
“誰にも怒鳴られない生活”というだけで、 心の底から救われる思いじゃった。
そしてあの頃は、本当にいろんな人に支えられとった。
自転車屋さんは、 ワシにお金がないのを知っとって、
「出世払いでええよ」
と、当たり前みたいな顔で言ってくれた。
町の中華屋さんは、
ワシを見るといつも、
「兄ちゃん、大盛りにしといたけぇ」
と、黙って山盛りを出してくれた。
あれがどれだけ助かったか分からん。
国体強化指定選手に選ばれとったおかげで、
ウェイト場もタダで使えた。
金がないワシにとって“無料で鍛えられる場所”は
ほんまに命綱じゃった。
そして何より覚えとるのは、師匠の昼ご飯。
師匠は、
ワシだけじゃなく弟子全員分の昼飯を、毎日出しとった。
当たり前のように店に入り、
当たり前のように注文してもらい、
当たり前のように食べとった。
その頃のワシは気づかんかった。
だけど今振り返ると——
「あれ、相当な経済的負担じゃったじゃろうな…」
そう自然に思うんよ。
弟子は何人もおった。
毎日、全員分の飯代を出すって、
今のワシが同じことやれと言われたら
正直、簡単にできることじゃない。
いとこの家での潜伏生活。
あれは貧乏でギリギリじゃったけど、
孤独とは真逆の時間じゃった。
ワシの背中には、
いつの間にかたくさんの人の手が添えられとった。
この期間がなかったら、
競輪選手には絶対なれてない。
それどころか、この業界で踏ん張れる力すらなかったと思う。
⑤ 保科トレーナーとの出会い
保科トレーナーとの出会いは、
今考えても“必然やったんじゃないか”と思うほど大きかった。
国体強化指定でタダで使わせてもらえたウェイト場で、
ワシが黙々とトレーニングしよった時のこと。
ふいに後ろから声をかけられた。
「それ、もったいないから見てあげるよ」
この一言が、すべての始まりじゃった。
その人が、今いっしょにNPO活動までやっとる
保科トレーナーじゃ。
最初は軽く助言してくれる程度かと思ったけど、
だんだん本気で見てくれるようになっていき、
気づけばワシは毎日のように彼と一緒にトレーニングしとった。
彼のそばにいると、
とにかく“自分にもできる気がしてくる”。
技術や理論が優れとるだけじゃなく、
話す姿勢、伝え方、鼓舞の仕方が
自然と人を前向きにさせるんよ。
これはビジネスでも同じじゃと思う。
上に立つ人間は、人を動かせる。
人をその気にできる。
保科トレーナーには、その力があった。
彼から教わったのが、
ノンウェイトトレーニング。
重りを使わず、
自分の身体だけで細かい筋肉を鍛える方法。
これがまた、めちゃくちゃ効く。
体幹が安定するし、
動きの質がまるで変わる。
競輪選手として、
このトレーニングがどれだけ役に立ったか分からん。
今振り返ると、
保科トレーナーと過ごした時間は
ワシの競輪人生だけじゃなく、
人としての成長にもつながっとると感じる。
そして今、
ワシはまたノンウェイトトレーニングを再開しようと思っとる。
理由は simple じゃ。
“あの頃の自分”を、もう一度超えたいけぇ。
保科トレーナーとの出会いは、
ワシの人生における大切な転換点じゃった。
⑥ アマチュア日本一へ
アマチュアの大きな大会で優勝すると、
競輪学校の入試が免除される。
つまり、プロへの扉が一気に開く。
ワシがその大会に挑んだ頃、
心も身体も、今までにないくらい整っとった。
トレーニングの質も生活リズムも、
全部が噛み合って、ひとつの流れに乗っとった。
ちょっと不思議な話になるんじゃけど、
ゴルフでパットを打つ前に「これは入る」と分かる瞬間があるとか、
弓道では「当たってから放つ」という感覚があるとか、
そういう“先に結果が分かる”というやつがある。
あの大会の時のワシは、まさにその状態じゃった。
大会に出る前から、
胸の奥で静かにこう感じとった。
「今回、優勝する」
自信とか気合いとは違う。
もっと淡々とした、
“もう結果は決まっとる”という感覚。
これが本当に不思議なんじゃけど、
願いが叶う時って、
いつも過去形なんよ。
「叶う」じゃなくて、
「叶った」という感覚が先に心の中で完了しとる。
その後に、現実がゆっくり追いついてくる。
大会はそのまま流れに乗って優勝した。
周りは驚いとったけど、
ワシの中では自然なことじゃった。
すでに優勝した感覚を、
前もって味わっとったからなんよ。
そしてこの感覚——
実は競輪だけじゃなくて、
ビジネスでも時々降りてくる。
「この道は行ける」
「この人と組むと流れが変わる」
「ここがターニングポイントじゃ」
そういう“先の未来”が
ふっと分かる瞬間がある。
逆に言うと、
そのターニングポイントさえしっかり押さえれば、
だいたい物事はうまくいくという感覚もある。
これがまた言葉では説明しづらい。
論理というより、
もっと深いところで「わかる」んよ。
あの日、アマチュアで日本一になった時も、
ただ“分かっとった。”
それだけなんじゃ。
そしてその優勝が、
ワシの人生を競輪学校へ、
そしてプロの世界へ押し上げていくことになる。




