① 師匠との出会い
競輪選手になるには、まず「師匠」を見つけにゃいけん。
自分一人でなろうとしても、道は開けん世界じゃ。
ワシはありがたいことに、ええ師匠に入門できた。
ただ、その師匠――ほんまに厳しかった。
トレーニングも、生活も、全部が修行みたいなもんじゃった。
ある日、師匠が言うたんよ。
「朝、パンかじりながらでもええけぇ、トレーニング場に来い」って。
その言葉を、ワシはそのまんま受け取ったんじゃ。
次の日の朝、ワシは本当にパンをかじりながら自転車に乗って、
トレーニング場に着いた。
そしたら、案の定――怒られた。
「お前、ほんまにパンかじりながら来るやつがおるか!」って。
今思えば、あれは「どんな状況でも覚悟を持って来い」いう意味じゃったんよな。
当時はその真意なんて分からんかったけど、
あの一言と怒られた日のことは、今でもよう覚えとる。
② 競輪選手の感覚
競輪選手の“感覚”っちゅうのは、ほんまにすごいもんがある。
特に自転車のセッティングには、みんな異常なくらい敏感じゃ。
サドルの高さが1ミリ違うだけで違和感を覚える。
2ミリずれたら、もう家で言うたら「1階と2階ぐらいの差」なんよ。
それくらい、感覚が研ぎ澄まされとる世界じゃ。
ワシも師匠の言いつけを守らんかったことが何度かある。
そのたびに破門になりかけた。
あれは“セッティング”のことじゃった。
ある日、サドルを前に5ミリ出すと乗りやすい気がして、
師匠が出してくれた設定から勝手にいじったんよ。
乗ってみたら確かに調子がええ。
でも、その日の練習中に師匠が一言。
「お前、いじったろう?」
たった5ミリ。
「うそじゃろ、なんで分かるんや…」って思うた。
でも師匠は一瞬で気づいた。
そのあと、もちろん元に戻された。
で、ワシも懲りんやつでな。
次の日、今度は2.5ミリずつ、そしてまた次の日、2回に分けて前へ出してみた。
バレんかと思うたら、即バレ。
「お前、また動かしたろう!」
競輪選手の感覚は、ほんまに常人離れしとる。
“ミリ”の世界で生きとると言ってもええ。
その日の最後、師匠がぼそっと言うた。
「明日からこんでええけぇのー。」
……平謝りになったのは言うまでもない。
③ 父というもう一人の師匠
父親――とにかく厳しかった。
説教が始まると、1時間、2時間の正座は当たり前。
とにかく父親の機嫌をうかがって、
ビクビクしながら毎日を過ごしとった。
今でも思い出す。
“華麗な技のレパートリー”を。
ブルース・リーのような体から繰り出される平手、
グーパンチ、一本背負い、ローキック。
倒れたところにストンピング。
その一つひとつが、鮮明に焼き付いとる。
そして、今でも忘れられん記憶がある。
幼稚園の頃のことじゃ。
車で夜の山に連れて行かれて、置いていかれた。
離れていく車を、泣きながら必死で追いかけた。
あの時の映像と、暗闇の恐怖は、今でも身体が覚えとる。
なんでそんなことになったんか。
理由は――シャンプーの時に、
お湯を頭からかぶらんかったからじゃった。
④ プリズンブレイクを計画した19歳の夜
競輪学校に受かるのは、当時“東大に入るくらい難しい”と言われとった。
運がよければ、1000メートルを1分12秒で合格できることもあったけど、
今では1分9秒台を出さんと厳しいらしい。
年々、ハードルは上がっとる。
ワシは短距離ならタイムが出るタイプじゃったけど、
1000メートルのような中距離は苦手じゃった。
スパルタ親父に練習を強要されても、
心のどこかでは“やらされとる”感覚が抜けんかった。
受験は何度も落ちた。
でも、落ちる理由は分かっとった。
本気で「受かりたい」と思えてなかった。
どこかで、“親にやらされとる競輪”になっとったんじゃ。
“自分の人生を自分で走りたい”
そう思い始めた頃、胸の奥で何かがはじけた。
そして、19歳の夜。
ワシは決めたんじゃ。
――家を出よう、と。
その夜、心の中で鳴り響いとったのは、
「逃げる」じゃなく、「解放される」という言葉じゃった。
⑤ プリズンブレイク
今でもあの夜のことは、はっきり覚えとる。
競輪学校の受験に落ちた日じゃった。
家に帰った途端、親父の説教が始まった。
「もう受験するのはやめろ」
その言葉で、何かがプツンと切れた。
無理やりやらせて、勝手に終わらせる。
自分の人生を他人の都合で回されることに、
どうしようもない怒りが込み上げてきた。
“もう、ここには帰らん”
そう心の中で誓って、
ワシは勢いのまま家を飛び出した。
あの瞬間の感覚は今でも鮮明に覚えとる。
玄関に向かったワシの背中を、
親父の手がジージャンの襟をつかんだ。
母親と妹が必死で親父を押さえてくれた。
その一瞬の隙に、ワシは“抜け身の術”でジージャンを脱ぎ捨て、
靴も履かずに二階の窓から飛び降りた。
足の裏にアスファルトの冷たさが走る。
裸足で、ただ夢中で走った。
痛みも、寒さも、涙も笑いも全部ごちゃまぜになって、
泣きながら笑いながら走り続けた。
⑥ 自分の人生を走るために
――誰かにやらされる競輪じゃなく、
自分で選んだ“走る道”を生きるために。
あの夜の逃走劇こそが、
沖本尚織という人間の「再スタート」だった。
そこから本当の意味で、彼は“自分の足で走る”人生を始めたのだ。
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